シャノン研究ノート

クロード・シャノンによるサンプリング定理:連続信号の離散化とその限界

Tags: 情報理論, サンプリング定理, 信号処理, フーリエ解析, ナイキスト周波数

はじめに:アナログ信号とデジタル信号の懸け橋

通信、信号処理、そして情報科学の多くの分野において、連続的な物理量を扱うアナログ信号と、計算機で処理しやすい離散的なデジタル信号の間での変換は極めて重要です。クロード・シャノンの貢献の中でも、特に信号処理の基礎として不可欠な位置を占めるのがサンプリング定理、あるいは標本化定理として知られる理論です。この定理は、連続時間信号から離散的な標本値を取得する際に、元の信号を完全に復元するために必要な条件を明確に示しました。本稿では、シャノンの原論文におけるこの定理の位置づけ、その数学的な基礎、証明の核心、歴史的背景、そして現代におけるその広範な意義と応用について掘り下げていきます。

サンプリング定理のステートメントと数学的基礎

サンプリング定理は、広義には様々な形式で定式化され得ますが、シャノンの文脈では、主として帯域制限された(band-limited)連続時間信号が対象となります。

定理(サンプリング定理): ある連続時間信号 $x(t)$ が、最大角周波数 $\Omega_{max}$ ($\Omega_{max} < \infty$) を持つ帯域制限信号、すなわちそのフーリエ変換 $X(\omega)$ が $|\omega| > \Omega_{max}$ の領域で $X(\omega) = 0$ であると仮定します。このとき、$x(t)$ は、標本化周期 $T \le \frac{\pi}{\Omega_{max}}$ で取得された標本値 $x(nT)$ (ただし $n$ は整数)のみから完全に復元可能です。復元は、以下の補間公式によって行われます。

$$ x(t) = \sum_{n=-\infty}^{\infty} x(nT) \mathrm{sinc}\left(\frac{\pi}{T}(t-nT)\right) $$

ここで、$\mathrm{sinc}(u) = \frac{\sin(\pi u)}{\pi u}$ です。 必要とされる最小の標本化周波数 $f_s = 1/T$ は、$f_s \ge 2f_{max}$(ただし $f_{max} = \Omega_{max}/(2\pi)$)であり、この $2f_{max}$ をナイキスト周波数(またはナイキスト・レート)と呼びます。シャノンの定式化では、この最小周波数の半分、すなわち $f_{max}$ をシャノン周波数と呼ぶこともあります。

この定理の数学的基礎は、フーリエ解析にあります。帯域制限信号のフーリエ変換は有限の周波数範囲に局在しています。周期的に標本化するという操作は、時間領域での積算と等価であり、これは周波数領域ではフーリエ変換の畳み込みとして現れます。具体的には、標本化された信号 $x_s(t) = x(t) \sum_{n=-\infty}^{\infty} \delta(t-nT)$ のフーリエ変換 $X_s(\omega)$ は、元の信号のフーリエ変換 $X(\omega)$ を $\omega_s = 2\pi/T$ だけ周期的に複製したものの重ね合わせとなります。

$$ X_s(\omega) = \frac{1}{T} \sum_{k=-\infty}^{\infty} X(\omega - k\omega_s) $$

証明の核心

定理の証明の核心は、標本化周波数 $\omega_s$ がナイキスト周波数 $2\Omega_{max}$ 以上である場合に、周波数領域における $X(\omega)$ の複製が互いに重ならないことにあります。 $|\omega| \le \Omega_{max}$ の範囲で元のスペクトル $X(\omega)$ を考えます。標本化周波数 $\omega_s \ge 2\Omega_{max}$ であれば、$X(\omega - k\omega_s)$ のピークは、元のピーク $|\omega| \le \Omega_{max}$ から少なくとも $2\Omega_{max}$ 離れた位置に現れます。したがって、$|\omega| \le \Omega_{max}$ の範囲において、主となる複製 $X(\omega - 0 \cdot \omega_s) = X(\omega)$ と、他の複製 $X(\omega - k\omega_s)$ ($k \ne 0$) は重なりません。

この状態であれば、理想的なローパスフィルタ(周波数応答が $|\omega| \le \Omega_{max}$ で $T$、それ以外で $0$)を $X_s(\omega)$ に適用することで、元のスペクトル $X(\omega)$ を定数倍した $T \cdot X(\omega)$ を正確に分離抽出することができます。

$$ H_{LPF}(\omega) = \begin{cases} T & |\omega| \le \Omega_{max} \ 0 & |\omega| > \Omega_{max} \end{cases} $$

$X_{recovered}(\omega) = X_s(\omega) H_{LPF}(\omega) = \frac{1}{T} X(\omega) T = X(\omega)$

この $X(\omega)$ を逆フーリエ変換すれば、元の信号 $x(t)$ が完全に復元されます。時間領域でのローパスフィルタリングは、対応するインパルス応答 $h_{LPF}(t)$ との畳み込みに相当します。このインパルス応答は、理想ローパスフィルタの周波数応答 $H_{LPF}(\omega)$ を逆フーリエ変換することで得られます。

$$ h_{LPF}(t) = \frac{1}{2\pi} \int_{-\infty}^{\infty} H_{LPF}(\omega) e^{j\omega t} d\omega = \frac{1}{2\pi} \int_{-\Omega_{max}}^{\Omega_{max}} T e^{j\omega t} d\omega $$ 標本化周波数の下限 $T = \frac{\pi}{\Omega_{max}}$ を用いると $\Omega_{max} = \frac{\pi}{T}$ となり、ナイキスト周波数 $2\Omega_{max} = \frac{2\pi}{T} = \omega_s$ に対応します。この最小サンプリング周波数で理想ローパスフィルタの帯域を $\pm \Omega_{max}$ とすると、上記の積分は

$$ h_{LPF}(t) = \frac{T}{2\pi} \left[ \frac{e^{j\omega t}}{jt} \right]{-\Omega{max}}^{\Omega_{max}} = \frac{T}{2\pi jt} (e^{j\Omega_{max} t} - e^{-j\Omega_{max} t}) = \frac{T}{\pi t} \sin(\Omega_{max} t) $$ $\Omega_{max} = \pi/T$ を代入して、

$$ h_{LPF}(t) = \frac{T}{\pi t} \sin\left(\frac{\pi}{T} t\right) = T \frac{\sin(\frac{\pi}{T} t)}{\pi t} = T \mathrm{sinc}\left(\frac{t}{T}\right) $$

復元信号 $x_{recovered}(t)$ は、標本化信号 $x_s(t) = \sum_n x(nT)\delta(t-nT)$ とこの $h_{LPF}(t)$ の畳み込みとして得られます。

$$ x_{recovered}(t) = x_s(t) * h_{LPF}(t) = \sum_{n=-\infty}^{\infty} x(nT)\delta(t-nT) * T \mathrm{sinc}\left(\frac{t}{T}\right) $$

畳み込みの性質 $\delta(t-nT) * f(t) = f(t-nT)$ を用いると、

$$ x_{recovered}(t) = \sum_{n=-\infty}^{\infty} x(nT) T \mathrm{sinc}\left(\frac{t-nT}{T}\right) = \sum_{n=-\infty}^{\infty} x(nT) \mathrm{sinc}\left(\frac{\pi}{T}(t-nT)\right) $$ となり、冒頭に示した補間公式が得られます。

重要なのは、スペクトルの複製が重なること、すなわちエイリアシング(aliasing)が発生すると、ローパスフィルタで元の信号を正確に復元できなくなる点です。エイリアシングは、標本化周波数がナイキスト周波数未満である場合に起こります。

歴史的背景とシャノンの貢献

サンプリングの概念自体は、シャノン以前から存在していました。カール・クラーク・ハワード・ナキスト(Harry Nyquist)は1928年の論文で、電信システムにおける信号伝送速度の限界を論じる中で、ある周波数成分を持つ信号は、その周波数の2倍以上のレートで標本化すれば、元の信号を識別可能であることを示唆しました。また、ロシアのウラジーミル・コテリニコフ(Vladimir Kotelnikov)は1933年に、帯域制限信号が $2W$(帯域幅)以上のレートで標本化可能であることをより明確に示しました。さらに遡ると、エドムンド・テイラー・ホイッテーカー(E. T. Whittaker)による1915年の解析関数に関する研究や、ジャック・ジルマ・アダム・アダーマール(Jacques Hadamard)の仕事にも、サンプリング補間公式の原型が見られます。

シャノンの貢献は、これらの先行研究を情報理論の包括的な枠組みの中に位置づけ、連続信号の情報伝送能力、特にノイズの存在下でのチャネル容量を論じる上で、標本化定理を情報理論の基礎定理として再定式化した点にあります。1949年の論文 "Communication in the Presence of Noise" の中で、シャノンは連続チャネルの容量を考えるために、まず時間と振幅の両方で連続な信号を、離散的な時間と離散的な振幅を持つ信号に変換する必要があると考えました。サンプリング定理は、この「時間軸の離散化」を、情報損失なく行うための理論的根拠を与えました。さらに、彼はこの標本化された信号の各標本値を、最小二乗誤差の意味で量子化することによって、振幅も離散化し、情報理論の離散的なモデルを連続的な信号に適用する道を開いたのです。シャノンの定式化は、帯域制限と時間の離散化の関係を情報量という観点から捉え直し、後続の信号処理や通信理論の研究に決定的な影響を与えました。

現代における位置づけと応用

サンプリング定理は、現代のデジタル信号処理(DSP)やデジタル通信システムの設計において、最も基礎的かつ重要な定理として揺るぎない地位を占めています。

現実のシステムでは、完全に帯域制限された信号は存在しませんし、理想的なローパスフィルタも実現できません。しかし、定理は現実の信号処理システム設計における重要な指針となります。帯域外の成分はエイリアシングの原因となるため、標本化前に帯域制限フィルタ(アンチエイリアシングフィルタ)を適用する必要があります。また、有限長の標本値からの復元や、非理想的な補間関数を用いた復元における誤差についても、定理を出発点とした詳細な理論的・実証的研究が進められています。

関連研究と発展

サンプリング定理は様々な方向に発展し、関連する多くの研究を生み出しています。

これらの発展は、サンプリング定理が提供した基本的な枠組みが、多様な信号や新しい技術に対応するためにいかに柔軟で、かつその限界を乗り越えようとする研究努力の出発点となっているかを示しています。

結論

クロード・シャノンによるサンプリング定理は、連続信号からデジタル信号への変換における理論的な基盤を確立しました。帯域制限された信号は、その帯域幅の2倍以上のレートで標本化すれば完全に復元可能であるというこの定理は、情報理論における連続信号の扱いを可能にし、その後のデジタル信号処理とデジタル通信の爆発的な発展を支える不可欠な柱となりました。歴史的にはナイキストなどの先行研究がありましたが、シャノンが情報理論の文脈でその意義を明確にし、数学的に厳密な形で定式化したことにより、この定理は通信と信号処理の基本的な原理として広く認識されるようになりました。現代においても、サンプリング定理はアナログ-デジタル変換(ADC)やデジタル-アナログ変換(DAC)を含むあらゆる信号処理システムの設計において、エイリアシングを防ぎ、信号品質を確保するための基礎として機能し続けています。また、信号の構造に着目した圧縮センシングのような新しいサンプリング理論の発展も、サンプリング定理が提供した古典的な枠組みの理解なしには考えられません。サンプリング定理は、シャノンが情報理論を通じて自然科学と工学にもたらした、理論の力と実践への深い洞察を示す好例と言えるでしょう。